SLIGHT LIGHT

2016年9月4日 シン潮

社会学者の岸政彦さんがはじめて書いた小説が掲載されると聞いて、『新潮』をはじめて買った。名前しか知らない、名前すら知らないような人もたくさん寄稿していたので興味深く、ところどころ難しいな、と思いながら通読したけど、連載小説の大半が震災、原発、戦争を何らかの形で織り込んでたことに驚いた。

自分がまだ学生だった時に東日本大震災が起きて、その年の春は「文学に何ができるのか」みたいな特集を組んだ文芸誌が、大学の図書館に並んでいた。だいたいどれも無力感に打ちひしがれながら「今は何もできない」と書いていて、その次には「混乱が収まる頃に静けさの中で胎動する(ことを願っている)」と続けられていた。人々の記憶が薄れ、事態の全容が見えてきた時に芽吹くものがあると。その言葉を思い出しながら、震災から5年が経った今がその時なのだろうかと思う。

しかもどれも直接的には描かず、「現実からどう逸らすか」というところに小説家の矜持が現れているようで読んでいてスリリング。「むかしむかし」というおとぎ話の語り口で始まり、過去のことを描きながら未来を照射するような古川日出男「ミライミライ」、テロ警備のため原発に配備された陸軍が反乱を起こし、核燃料のプールに大砲を向ける黒川創「岩場の上から」。朝吹真理子の「TIMELESS」ではセックスをしないまま結婚し、「交配」して子どもを作る約束を交わした夫婦・アミとうみの生活が描かれる。これまでのあらすじにはうみがチェルノブイリ原発事故の年に生まれたと書いてあったけど、今回は特にそれにまつわる描写はなくどんな風に絡んでくるかは不明。ただ、これまで当然のように考えられていたセックスの快楽や蜜月に疑問を投げかけるような作品は多く描かれているみたいだし(このインタビューを読んだだけで小説は未読で申し訳ないけど村田沙耶香『消滅世界』や窪美澄『アカガミ』、あとはドンズバなタイトル湯山玲子×二村ヒトシ『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』は自分の肌感覚でも腑に落ちるところがあり面白かった)、それとこれをどう結び付けていくかはとても気になる。朝吹さんは『きことわ』しか読んだことないけど、あの輪郭がほどけて混ざり合っていくような文体は健在で心地良い。

どれも絶対的な創作であると同時に、予言めいた迫力を感じる。戦争、テロ、内戦を描いたようなところは特にそうで、2011年以前に震災のことを忘れていた悔恨に突き動かされているのかもしれない。まだ起こる前の事象に、小説は先回りできる。

逆にすでに起こってしまったことに関しては、現実の世界の話として定着したからこそ、空想として飛び立つことができる。被災者が体験した霊体験の奥野修也によるルポが広く世に放たれるようになったのが去年くらいからなのもそういうことだろうし、新潮とは関係ないけどこの夏公開された『シン・ゴジラ』はその完了を示すやかましすぎるファンファーレのようなものだったとも思う。
本誌の中盤では特に震災とは関係ない形で小林秀雄の引用、批評が連続しているのだけど、その中の「歴史は第二の自然」という言葉とも遠く響きあってる感じがするな。そう考えると。

広告

2016年6月11日 魔法的

 小沢健二はこんなに個人史的な人であったのか、と思う。
「魔法的」ツアーは事前にアナウンスされていた通り、新曲が中心のライブになった。披露された17曲のうち、7曲が新曲。不透明な幕でステージが覆われたまま、ファーストソロアルバムの1曲目「昨日と今日」でスタートし、旧来のファンが勝手知ったる様子で腰を揺らしたのもつかの間、2曲目には早々に新曲が披露される。不透明な幕に「フクロウの声が聞こえる」と曲名が映し出されると、前奏とともに歌詞が順番に投影されていく。歌詞をすべて表示し終えると幕が落ち、これまでシルエットだけだったオザケンがいよいよ観客と対峙し歌い出す。

「チョコレートのスープ」「泣いたらクマさんを持って寝る」など、米文学を思わせる乾いた文体を下敷きに童話的なストーリーを紡ぐ歌詞はこれまでのオザケンにはなかったものだ。次に披露されたのも新曲で、「シナモン(都市と家庭)」という曲。「フクロウの声が聞こえる」とは違って歌われている主題は大人たちだが、「シナモンの香りで僕はスーパーヒーローに変身する」なんて歌詞に、変身ポーズのような振り付きまでついている。
 小沢健二は2013年にアメリカ人の妻との間に息子を設けているが、この2曲をはじめ、新曲ではその体験が如実に表れていたと思う。そしてそのことから考えても、今回のツアーは「父親になった(あるいは“家庭を持った”)オザケン」というところに収斂していくように思える。
「泣きながら歌おう」と言って披露された「大人になれば」、彼が「複雑な気持ちで」と言った途端に笑いが起こった「それはちょっと」。彼がステージ上から語りかけるのは、彼の音楽と青春をともにした世代の人に対してだ(今回のツアーグッズ「オリーブは生きている」Tシャツなんかも)。でも、それらは懐かしむためというより、ある時代の終わりを明示するため選ばれたようにも思われた。

 巨大すぎる時代のイメージ。オザケンは今回それを「懐メロ商売」のように特別に美化するのではなく、葬るのでもなく、現在によって相対化するという方法をとった。
 単純な方法のようだけれど、そのためには過去に匹敵する現在がなくてはならない。小沢健二は音楽が時代や瞬間を内包してしまうことの重さを背負ってきた音楽家だからこそ、簡単にそれができないことを自覚していたのではないか。だからこそこれだけの時間がかかり、そして結婚や息子の誕生という個人的な祝いの力に突き動かされる必要があったのかもしれない。

 終盤で披露された「ラブリー」は、ベティ・ライトの「Clean Up Woman」から引用したリフをアコギでとてもささやかに、ゆえに印象的に奏でる。ある時代を過ごした人であればきっと浮き足立つような、象徴のようなフレーズ。この曲と過ごした時代を思い出す記憶装置のような音楽。それを相対化する新たな象徴として意識的に作り出されたのが、「ラブリー」に次いで披露されたこの日最後の曲「その時、愛」だった。
「この新曲を、演奏が終わるまでに覚えてくれるといいと思います」。そんなことを言って歌われたこの曲には、正確には覚えていないのだけど「あの日行ったライブ会場で覚えた歌を帰り道口ずさんでみる」みたいな歌詞があった。それはつまり、音楽に「今」を、記憶装置になるための物語を、強制的に組み込んだのだ。

 そうやって「今、ここ」にいることの神秘を作り出すのはすごくオザケンっぽいなと思うし、僕はそういう演出に弱いので目頭が熱くもなった。一方で、オザケンが1月に渋谷クラブクアトロで行われた「魔法的」ツアーの発表イベントで「おなじみの曲もたくさんやりますが、帰り道に体に残っているのは、新しい曲たちだと思います」と言ったことを思うと、ちょっと作為的すぎやしないか? と若干拍子抜けしたのも事実だ。なんというか、魔法を信じきれなかった感じがする。なにかをあきらめたことを、さも「選択」したようにみせているようにみえる。でも、こういうわざとらしさがそのあきらめを「満ち足りた諦念」として成立させているのかもしれない。開かれたものを閉じることで得られる自由があり、その中を分け入った先が、これからのオザケンの居場所になるのかなと思った。

2016年5月29日then and now

 フェイスブックを開いたら大学の時に入っていたサークルの45周年パーティの案内が来ていた。ここ数日なんとなく大学の友人たちの顔が見たくて、誘ってみようかと思っていたところだったのだけど、このパーティがあるからいいや、と思った。パーティは9月だ。まだ4ヶ月近く先なのに、それでいいやと思った自分に驚く。まあそれ以外の人と会ったりやることがあるというのもあるけど、とはいえ昔だったら4ヶ月先の約束なんて遠い遠い話のようだったのではなかったか。

 愛とは何なのか。そういう観念的なことをあれこれ考えて答えを見つけた気になっていたものだけど、生きていればいるほどわからなくなってくるし、その答えを出すことに対して萎縮する。絶対にそうだと思ったことが裏返るのを何度も見たし、誰かの話を聞くたび頷いてしまって、はっきりとした輪郭が見えないからだ。もう全然わからなくなっている。ただ、それでも愛すべき人は目の前に現れるから、愛なんかなくて愛する人がいるだけなのかもしれないと最近は思う。

2016年5月14日 嵐は過ぎる

この冬は公私ともにかなりきつい出来事が続いたせいで「これが本厄か、早くお祓いに行かなくては」と思っていたのだけど、気付けば事態が好転したりひとまず鎮静化したりしているから、早まって死んだりしなくて本当によかった。嵐は過ぎる。結局お祓いにも行かずじまいだ。

特に仕事がすごく好調。昨年は編集よりももっと執筆がしたいと思いながら機会に恵まれず、これで良いのか迷いながら働いていたのだけど、今年になって急にたくさん執筆仕事が舞い込んでくるようになった。偶然のタイミングで入ってきた仕事もあるし、これまでの仕事で僕のことを認めてくれた方からの定期的な発注もある。どれも楽しくて、こんなに書くのが好きだったのかと自分でも内心驚く。内容にかかわらず、てにをはを調整したり、類語を見比べて一番しっくりくるものはどれか頭を悩ませているだけで楽しい。仮にもそれを学んでいた大学生の頃はそんなこと思いもしなかったのにな。伝えたいことをどうやったら形にできるのか、やっていることは同じだけど今のような楽しさとはちょっと次元が違っていた。

取材が多いせいもあるのだろうか。昔やっていたレビューブログや今のこの日記は物言わぬ作品との対話であったり、自分との対峙だけど、最近仕事でやっているのは取材をした、誰かの言葉ありきで進んでいくもの。アート的ではなくデザイン的な文章を書いていて、自分にはそれがすごく合っていたということなのかもしれない。そして取材で話を伺った人たちのことをよく好きになる。手応えと不安の入り交じった目で未来を語られるといつも泣きそうになるし、彼らの視界がいつも晴れていてほしいと祈る。その挑戦のための追い風でありたいと思う。まだまだ取材はうまくはないけれど。だからこそ、もっとたくさんやりたい。

あとは現実的なところを言うと、原稿料1本の金額をすべて把握しているので「今月は自分の給料より稼いでいるか?」をすごく気にしながら働くようになった。楽しくやっているぶん、不義理のないようにしたい。……なんてほど真面目でもなく、単に自分が居心地の悪さを感じたくないだけなのだけど。でもまあ、金銭面を気に掛けておくのは、間違いなく後々役に立つだろうし。そしてライターとして暮らしていくのもできない話ではないな、と思えるようにはなってきた。なので(?)仕事ください。今は人物にフォーカスしたインタビューものがすごくやりたいです!!

そして仕事が良い感じになってきたと同時に、昔からお世話になってるアパートメントでも一介の住人から「編集人」というかたちで、より運営に関わっていくことに。2ヵ月ごとに1人か2人、書いてくれる人を探さなくてはならないからなかなか忙しい。書きたい人、書けそうな誰かを知っている人は連絡ください。
今は友人の音楽ZINEユニットanoutaが火曜日に連載中。無数の「あの歌」の記憶が思いつくままに書き連ねられていく。Daft Punkとはまったく関係ないけど、何となくランダムアクセスメモリーという言葉を思い出す。シャッフル再生しながら聴きたくなった曲があればプレイリストに放り込んでいくような。そうして考えてみると、タイトルがいつも「Music From Memories」で、機械的に回を重ねるごとに末尾の数字が増えていくのもそれっぽい。
最新回はカセット、レコード、8cmシングルなどフィジカルリリースの話が多め。終わるまでに2010年代を舞台にしたMusic From Memoriesも少し読んでみたい。

編集人として関わるだけじゃなくて、自分もまた何か書けないかずっと模索している。まだ全然だけど、一つのテーマでというよりいくつかのテーマを同時並行するのがよさそう。最近そのうちの一つをようやくちょっと書き始めたところ。夏までには始められたらいいな。
僕がアパートメントで書いてたのは2013年の8〜9月。もう3年も経つのか。色々変わったなあ。

2016年1月10日 呪わずに

「ホットケーキ食べ行こうか このまま抱きついてようか 悩む僕らは朝の光浴び続ける」
先日買ったユリイカの坂口恭平特集にダウンロードURLがついていた彼のサードアルバム『ルリビタキ』がとても良くて、思い返してはよく聴いている。
ユリイカでも多少触れられていたけど坂口恭平の書く文章には思想をかたどるにはやや粘りが弱く、その前に強烈なイメージが立ち上がってしまうという危うさがあった。細部まで輪郭のはっきりとした言葉ではなく、人々の解釈によって熱を帯びていくさまはまさに宗教のそれに近い。やることの面白さ、突き抜け感は他の誰にもまねできないものだけれど自分はなるべく批評的にこの人のことを見るようにしていたから、いろんな距離、観点から坂口恭平を見たこの特集は本当に面白かった。「書かれた空間――ウィコゲニアに向かって」と題された章の、『家族の哲学』はじめ彼の私小説めいた、でも従来の私小説とは違う作品群を起点に、彼の深層心理へと切り込んでいくようなところは特に。
そんな風に自分としては正面から受け止めるには危うさのある坂口恭平の思想や現実認識だけれど、すっかり身を委ねてしまえるものもある。歌だ。弾き語りiPhone一発録音の簡素な、でもミスも含めて作品に昇華したような音楽はやさしく、豊かなイメージで心を押し広げていく。
中でも3曲目の「空き瓶」という曲をよく聴いている。冒頭に記したのはその歌詞の一節。今つきあっている人が休日の朝によくホットケーキを焼いてくれるから、なんとなくつなげて聴いているというせいもある。

思わず坂口恭平について長く書いてしまったけれど、ここからは恋人の話。
土曜日に僕の誕生日を1日遅れで祝ってくれた翌朝も、同じように焼いてくれた(正確には俺がめんどくさがったら渋々作ってくれた)。食べながら、もし今後別れることがあってもこういう時間をちゃんと良いものとして思い出せるようにいたいと思っていた。その時の幸福な記憶が二度と思い出したくないものにならないように、個人的な歴史の中の、ある時代をまるごと呪うようなことは絶対にしたくないと思う。

1月8日に24歳になった。大人になったのか何なのか知らないけれど、今つきあっている人といつまでもうまくやっていけると盲目に信じることはできなくなったし、強い気持ちでその宣言をする準備もできていない。クリスマスカードに来年の話を書こうとして、以前なら難なく書けていた言葉をためらうこともあった。僕が軽い気持ちでいつまでも一緒にいられるというようなことを言えば、いつも「それはどうかな」とけっこう本気のトーンで返される。
お互いに大切に思っていることは伝わっているだろう。伝わっているけれど、先のことはわからない。でも、もしかしたらそのわからなさによって団結しているかもしれないとも思う。わからなさの背後にあるいくつもの消えた炎のような暗さを共有している。沈む時には沈む二人だけの船にまた懲りずに乗り込んで、大きな波に揺られたら反射的に同じ方へと舵を切れる予感。そんな風にうまくいかなくても相手を呪わない意気地のなさと、愛し合うことは結果ではないのだからと学ぶ日々。

今日は清澄白河に展示を見に行った。帰り際に以前友人の展示を見に行ったギャラリーの前を通ったら違うお店になっていた。僕がここに来る時はいつもよく晴れていて、透明な響きの地名のせいもあって「この街には雨が降らない」と言われても納得する気がしている。

2015年12月23日 衛星

 機会があるごとに富山、富山と騒いでいる気がするけれど、僕の郷土愛の呼び水は母でもある。先日も、富山市を特集したAERAのムック本が送られてきた。
 いまは『ユリイカ』の坂口恭平特集と大好きなブロガーこだまさんの同人誌『塩で揉む』を並行して読んでいる。だからまだ全然目を通していないのだけど、この夏オープンしたばかりの富山市ガラス美術館の前を路面電車のセントラムが走る表紙が美しい。しかもガラス美術館は隈研吾の設計。新しい国立競技場も同氏が手がけるということで、建築について無知な僕でも少しテンションが上がる。年末に偶然合掌造りや金沢をめぐるツアーに行くことになり、富山も行くのだけど高岡の瑞龍寺や魚津などで富山市はルートに組み込まれていないので、少し残念。
 母からちゃんと届いたか、と連絡があったので「ガラス美術館、国立競技場と同じ人なんだね」と話すと「そうなのよ。隈さんの設計みたい」と返信があった。特に建築が好きというわけでもなかったから、母のほうから隈研吾の名前が出てきたのは少し意外に思った(僕も絶望的に知識がないのでわからないのだけど、隈研吾の名前って一般的に知ってないと恥ずかしいんでしょうか。建築、興味はあるし須賀敦子のイタリアの建物をめぐるテキストとかを読んで感激したことが何度もあるのだけど、見る目を養うきっかけがいまいち掴めない)。

 自分の知らない子どもの姿を見る親の心境は寂しくも嬉しいもの、とはよく聞くが、案外その逆というのもあるのかもしれないと、離れてみて思う。寂しい、は違うけど、自分の知らないところで親が生き生きしているのはなんか嬉しい。僕も思う存分生き生きできる。脳裏をよぎる親の「老い」から目を逸らしているところもあるのかもしれないけれど、ただ目を逸らしているわけではなく、それに対抗する現実的でたしかな手段だとも思う。
 家を出てから父や母がどこかに出かけた話をぽつぽつと聞くようになった。メールでだったり、たまに帰ったときだったり。実家に住んでいたころもほとんど寝に帰っているようなものだったので、僕が時間を奪っていたわけではないと思う。というよりも子ども達がみんな実家を離れたことが、両親、特に母にとって新しい扉を叩く契機となったようだった。そういえば春にパソコンも新調して、時々触っている。父は同業他社の悪口が書かれているサイトを見て喜んでいるらしい。おそらく2ちゃんねるだ。息子の名前で検索して、このブログの一切を読んでいないことを切に願う。

 我が家は両親の仲が良くなくて、家に父と母だけになったら何かの弾みにマジで殺し合うんじゃないか、と本気で心配したこともあったのだけど、五月ごろに「二人で東京タワーに行った」と聞いて拍子抜けした。そもそも家族旅行すら数えるほどしかしない一家だったのだ。それが60を超えた夫婦二人で東京タワーとは。トレンディですらある。
 先日は上野に「大兵馬俑展」を見に行ったと言っていた。SNSを見ていたら姉のトップページのヘッダーが、両親が姉と姪と一緒に果物狩りに行ったときの写真になっていた。果物狩りなんて、いつ行ったのだろう。誘われてないけど、それでいいと思った。

******************

 坂口恭平は『家族の哲学』という自分の両親や、妻であるフーとの間に築いた新しい家庭をもとにした小説を上梓し、『ユリイカ』でもこの小説や彼の家族について様々に論じられている。こだまさんの『塩で揉む』はブログをまとめて書籍にしたもので、カテゴリをそのまま章にあてはめているが、一番最初に来ているのが「家族」の項だ。今年は同性婚がトピックになって、個人的にも仕事で父親/母親の役割、のような記事を扱ったこともあり、そのかたちについて頭のどこかで考え続けていたように思う。
 少なくとも、従来の父親像・母親像を盲信してはいけない。だけどその像も間違っているわけではないので、表面的なものだけをすくい取って「古臭い」といった言葉を浴びせたり、逆に懐古主義みたいになったりしてはいけない。それぞれの家庭にしかわからないことはたくさんある。最終的な正しいとか間違っているとかの判断は、社会ではなく家族がするのだ。当たり前のことを言っているようだけど、それは健康な状態でのことで、心身が弱っているときにそれをするのは難しい。情報の選択基準が持ちづらいわりに、同調圧力の強い社会では特に。

******************

 別の時間を生きたあと、同じ場所で落ちあうことの重要さ。誰かと親しくなるたびに思ったこの感覚を、僕は今、家族に対して抱いている。
 色んなところに行ってくれ。そして何がすばらしかったか教えてほしい。

2015年11月17日 最初にくべる薪/SNS時代の祈り

「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」
https://twitter.com/SaeedSato/status/665424613556535296

 先週の土曜日、Twitterにこんな言葉が流れてきた。シリア出身UAE在住の女性アナウンサーによる、11月13日にフランスのパリで起きた同時多発テロを受けての発言だ。このツイートを見る前にそれと同じようなことを少しだけ考えていたので、当事者からの発言として印象に残った。
 実際、レバノンやパキスタンなど中東の地域でも同様のテロが起こっている。そんな中で、パリだけが取り沙汰されることに一種の違和感を抱いた人は少なくなかったようだ。でも、その後SNSを見ている限りでは彼らの違和感の多くはパリに対して祈る人たちを揶揄する方向に向かってしまって、この女性アナウンサーのつぶやきもその中に埋もれてしまった。

 どうしてこういう方向に向かってしまったのだろうか。原因としては、特別にパリに縁のない人が投稿した#prayforparisのタグや、各SNSのアイコンをトリコロールカラーに変えたことなどが考えられるだろう。これらは見方によってはファッション的で軽薄だからだ。それに、実際にアイコンを変えることで何かの責任を果たしたような気分になり、思考停止してしまう人がいることも否めない。

 でも、じゃあ彼らのそうした行動を否定したり揶揄するのも違う、と思う。実際にファッション的にやっている人がいたとしても、その人と本当に祈っている人を区別することはできないし、そもそも区別しようとすること自体がナンセンスだ。パリに一度観光に行っただけの人の祈りと、その土地で生まれ育った人の祈りは当然違うけれど、どちらが本当ということではない。祈りに事実的な証拠を求めると多くのものがこぼれ落ちていくし、そんなことを言っていたら多分、中東というよく知らない地域のために祈ることはいつまでもできない。
 
 パリのために祈り、中東のためにも祈ることは難しいだろうか。パリは(先日シャルリー・エブド事件とかはあったけど)「国際的で平和な都市」であって、いわゆる紛争地帯とは違う。だから、今回パリが大きく取り上げられてレバノンなどが取り上げられないのは別におかしいことではない。そういった場所でテロが起こったことは、ある意味ここ日本でも同様の事件が起きる可能性を示唆しているわけでもあって、重要度も違う。ただ、そうした「自分に関係ある/ない」の尺度で見るのではなくて、今回の事件から気づくことはできないだろうかと思うのだ。何事も起きない日々を祈ること、その暖炉にくべる最初の薪として。

 ただ、テロに関して僕たちはひとまず祈る以上のことができるわけではないので、「祈り続けよう」と言ってもひどく漠然とした感じではあるのだけど。でも、人が祈るのはそもそも打ちひしがれたり、手も足も出ないような出来事に直面した時ではなかったか。そう考えるとSNSをトリコロールカラーに染める行為は、ファッションのように見えて実は祈りの根源的な要素をしっかり内包しているのではないだろうか。
 そういえば、先日ラジオで「テロの本質は襲撃そのものをさすのではなく、襲撃によって人々に恐怖が蔓延すること」と言っていたのを聞いた。だとすると、アイコンを染めることは恐怖に屈しないことの表明になり、祈りの一歩先の行為になるかもしれない。どれだけの人がそう考えてやっているのかは知らないけど。あと、今回はパリのナショナリズムを攻撃したかどうかは定かではないはずなので、それを掲げたことで自分自身が攻撃の対象にされるわけではない、というのも大きいか。これについてはパリの件よりも今年の夏ごろに同性婚の気運を受けてSNSのアイコンをレインボーカラーにするのが流行ったことから考えるほうがよさそうだ。どちらにしても、「SNS時代の祈り」というのは少し時間をかけて考えた方が良い題材かもしれない。これまで極めて個人的だった祈りが、束になって人を動かすものへと変容しようとしている。

2015年10月18日 詩でも歌でもないが

SNSで日本に住む英語圏の人とやりとりをしていて、近いうち会うことになりそうなので少し焦っている。
僕は英語がまったくできない。読むのは授業でやってたから少しはできるけど、書くのはぜんぜん駄目。文法も単語も思い浮かばないから話すのはもってのほかだし、おそらく聞き取るのもまったくできないだろう。今は逐一グーグルの翻訳機能を使ってメッセージを送っている。念のため「Can you speak Japanese?」と訊ねたら「A little!
But your English is good!」と言われた。

いつのころからかわからないけれど、細かいニュアンスを人に伝えることに苦手意識を持つようになった。昔は不得意ではなかったと思うのだけど、ある時からこだわりが生まれるようになって、その結果として意識が強張ってしまったのだと思う。文章を書くのが好きなのはその細かいニュアンスを推敲して、作り上げることができるからだ。実際に意図した通りに伝わっているかはともかく、こちらの伝えたいものがひとまず文章として完成するのは楽しい。その点、面と向かって話すのは即興の要素が強くて不安になることが多い。言葉以上に、声の抑揚とか表情が大きな位置を占めるせいもあるだろう。

外国語だと、この細かいニュアンスを扱う段階にそもそもたどり着けない。探り探りでやっと意味を伝えられてるかどうか、というところだろうか。
言葉が通じない人とコミュニケーションをする時、大切なのは先述の声や表情だ。そしてそれを導けるかは「正しく伝えること」に執着することではなく、「どうにか伝えようとする意志」みたいなものがあるかどうか、と思う。とにかく、下手でもボールを投げること。それは自分の能力の不完全さを認め、相手の理解力を信頼することでもある。
大学4年の時「現代詩研究」という、和合亮一とか最果タヒとかの読解や朗読をしたり、自分たちでも詩を書いてみたりする講義をとっていた。そもそも現代詩というジャンルがニッチな上、別の人気の講義と被っていたから学生の数は少なかったのだけど、その分やる気のある人が多く、ゼミのような熱量があり先生もとてもよくしてくれた(教材として前の週に配られる詩集のコピーを忘れてくる人がやたらと多くて、それについては苦言を呈していたけれど)。
12,3人ほどの学生の中にひとり、中国人の留学生がいた。語学の勉強のために大学から日本に来ている李さんという女の子で、たしか就職も日本ですると言っていたと思う。
彼女の詩の朗読が、他の誰よりも好きだったことを覚えている。日本語じたいがおぼつかないのでアクセントがおかしかったり、漢字の読み方が間違っていたりするのだが、それらを先生に正されつつ読み進める声にはたしかに「どうにか伝えようとする意志」が宿っていた。その意志が現代詩を背負った時の響きは、その文学の形態がそもそも理解不能性を内包しているにも関わらず、どこか「対話」を思わせた。彼女が読むことで詩の意味がすらすらと理解できるわけではない。ただ、誰よりも耳を傾けたくなるようなまじめさがあったと思う。

もちろん、日常会話は現代詩ではないから、コミュニケーションになってくれないと困るのだが。僕の英語と直接関係はないのだけど、他言語を話すことについて考えるとき、いつも心のどこかにある風景だ。

似たようなテーマでよく覚えている話はもう一つあって、これも大学の同級生の話。彼女は韓国からの留学生なのだけど日本語がすごく達者で、そのことを何かの折に僕が褒めたのだと思う。すると彼女は「でも日本語は音の上がり下がりが多くて、歌ってるみたいでちょっと恥ずかしい」と言ったのだ。自分が気にせず話していた言葉を「歌ってるみたい」だと思ったことはなかったので、そんな感じ方もあるのかと思った。彼女が飛行機に乗ってはじめて日本にやってきた時、空港ではまるでみんなが歌ってるように聞こえたのだろうか。

だけど歌こそ声の抑揚や、場合によっては表情がものを言うので、もしかしたら他言語を話すときは歌だと思ってやってみるのがいいのかもしれない。

2015年10月7日 FINALLY! MOCKY JAPAN TOUR @渋谷WWW

Mocky_Conga window_by Dalton Blanco
「FINALLY!(ついに!)」と冠されたツアータイトルに、誰一人として文句を言う者はいないだろう。10月1日のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルを皮切りに行われた、Mockyの初来日ツアーのことだ。
 カナダ出身の音楽家で、同郷のFeistやChilly Gonzalesといったアーティストと深い交友を持つMocky。その音楽性はヒップホップ~R&Bを渡り歩き、2009年発表の『Saskamodie』以降はタイムレスで温かみのあるジャズを奏でている。今年リリースされた最新作『Key Change』では活動の拠点をロサンゼルスに移し、新たに知り合ったミュージシャンも多く参加しているようだ。
 
 Mockyの来日は過去に2度企画されていたものの、どちらも中止となってしまっていた。今回の初来日ツアーはいわば三度目の正直というわけだ。熊本公演ではポスターを坂口恭平が手がけ、神戸ではtofubeatsがDJを務めたと聞いて、そこから知った人がたくさん来るのかと思っていたのだけど客層は全体的に渋め。なんとなくライフスタイルにこだわりのあるような感度高めの人が多いかと思っていたのだけどそんなことはなく、熱心な音楽ファンが一人なり二人で見に来ている、という感じだった(実際のところはわからないけど)。

 開場から30分近く経ってから入ったにもかかわらず、前から2列目くらいのど真ん中を陣取ることができた。開演時間を15分ほど過ぎたころ、客電が落ちてメンバーが入場。皆黒い紐が無数にぶらさがった、南米のような、ちょっとランプシェードのような帽子を顔が見えないほど深く被っている。
 最新作の冒頭を飾る「Upbeat Thing」の幾何学的なピアノが流れると、大きな歓声が。後ろを振り返るといつの間にか客席は満員になっている。メロウな弦楽器とピアノの音色に聞き惚れる。音源では抑制の効いた印象があったけれど、生で聴くとMockyの力強くも洗練されたドラムと、表情豊かなパーカッションに体が動く。レコーディングされた音源が「耳で聴く」ことをベースに、「体で聴く」要素をスパイスとして振りかけたものだったとすると、その主従が逆になったような感じ。その印象は今日のライブの全編において感じられた。
 曲が終わると全員がいっせいに帽子をとり、表情が露わになる。笑みを浮かべるMockyに応えるように、再び大きな歓声と拍手。待ちわびた時間がはじまっていく喜びを、誰もが伝えたがっているようにすら見えた。

 続いても最新作から「Time Inflation(Message To R2)」。ここで驚いたのが、そのコーラス・ワークの華やかさだ。後から知ったのだけど、今回Mockyのサポートとして来日していたのはJoey DosikとNia Andrewsという2人のアーティスト。どちらもソロで楽曲をリリースしており、今回のライブではそれぞれ1曲ずつ彼らの楽曲を演奏する場面もあった。
 Nia AndrewsはMary J. BligeやLauryn Hillのバックコーラスも務めた人物。立ち姿、歌声ともにラフなのにものすごく可憐で、彼女の気持ちよさそうな歌声と表情は確実にバンドメンバーにも観客にも良いバイブスをもたらしていたと思う。彼女のソロ曲後の拍手が一際大きかったこともその証拠だろう。その他にも素晴らしすぎる好演ばかりで、中でも前半に披露された「Head in The Clouds」ではこんなに甘美なメロディだったのかと楽曲を再発見する思いだった(この曲のメインヴォーカルはMockyなのだけど、印象に残っているのはNiaのさえずりのような歌声ばかり!)。
 Joey Dosikは曲に応じてピアノやパーカッションなど様々な楽器を披露。ソロ曲も良かったけれどライブの中盤「When Paulie Gets Mad」の時に、ステージ中央でスポットを浴びながらフルートを吹く場面がとてもスマートだった。GonzalesやFeistとやっている時もそうだったけれど、Mockyの音楽はそこに集った才能に驚喜するのが楽しいなあと思う。

 全体的にもっとストイックなライブかと思っていたのだけど、いい意味で予想を裏切られ続けた。「Weather Any Storm」ではシンバルを傘のように掲げたかと思うと、客席に差し出して叩かせたり、床に叩きつけて鳴らしたり。こういうユーモアのあるパフォーマンスはさすがゴンザレスの盟友! という気もする。「Sweet Things」では歌詞の一部を「アマイモノ~」と日本語で歌い、笑いを誘う場面もあった。

 観客との掛け合いもたっぷりで「今夜が俺の日本最後の夜なんだ!」みたいなことを言いながら客席の全員に飛び跳ねるのを強要したり、逆にMockyがステージから降りてきて観客全員と一緒にしゃがみ込んだり。終盤、どの曲か忘れてしまったのだけど、ライブを見に来ていた坂口恭平がステージに上がって激しく踊りだしたことにも驚かされた。ちょうどこの時東京に来ていたようだから、もしかしたら何かコラボがあるかも? とは思っていたのだけど、あらかじめ決まっていたのではなくその場のテンションでこういうことが巻き起こるのが最高にクールだ。同時にお客さんも何人か(Mocky直々の指名を受けて)ステージに上がっていたのだけど、彼らの戸惑いつつ楽しそうに踊る姿もすごく良かった。この「戸惑いつつ」というのがかなりグッときたポイントで、今夜がいかに特別かということを改めて実感させられるようでもあった。

 「Living In The Snow」で本編が終わると、間もなくアンコール。なんとこの日はMockyの誕生日だったそうで、Joeyの簡素なエレピの伴奏とNiaのヴォーカルにリードされつつ皆でハッピーバースデーを合唱。特別な一夜の感慨が会場に深くしみ込んでいくような、美しいサプライズだ。
 アンコールの1曲目はファースト・アルバム『In Mesopotamia』から「Sweet Music」。本編でもファーストからの楽曲をいくつか演っていたのだけど、最近の曲と並べてもまったく違和感がない。音楽性が大きく変わったと感じていた人も多いと思うのだけど、彼の中では地続きであることを鮮やかに見せられたようであった。
 続いてMockyがステージ中央に移動し、ウッドベースを手に取ると聴こえてきたのは「Birds of a feather」のあの涼やかな口笛。熱量を抑えたリズムはそのまま、少し跳ねるようなウッドベースが高揚を誘う。もちろん、メロディラインの素晴らしさはNiaの歌声で増強。ささやくような色気あるMockyの歌声と絶妙に絡み合い、なんとも甘やかだ。
 傑作『Saskamodie』を代表する名曲に誰もが聞き惚れた中、この日最後に披露されたのはCheryl Lynnの「Got To Be Real」のカヴァー! 個人的な話なのだけどこの曲はEW&Fの「September」と並んでもっともよく聴いたディスコ・クラシックで、まさか最後にこの曲を持ってくるとは夢にも思わなかったので本当に驚いた。長引く喉風邪をひいていたのに曲中で何度も叫んでしまって、おかげでいまだに咳が治らない。それはともかく、最後にこんな大ヒット曲を持ってくるあたり本当にセンス良いなと思う。言葉にすると野暮なのだけど、音楽とこの夜への敬意が畏まることなく鳴り続けているような、多幸感溢れる幕引きだった。

 魔法のような演奏が中心にあることは言うまでもないけれど、待ちわびたファンの熱気、坂口恭平のダンス、ささやかな「ハッピーバースデー」などいろんな要素が相まって、自分がこれまでに見た中でも1、2を争う幸福なライブだった。この夜に立ち会えたことを素晴らしく思う。すべての演奏が終わった後、Mockyは「See you in next year!」と言ってステージを去った。ホントかよ、という感じだけれど、あの場にいた誰もがその言葉を信じたいと思ったはず。「FINALLY!」なんて言うのはもう今回で十分だ。

2015年9月23日 この長い休み(人は思い出せる)

 夏前くらいから土日でも何かしら取材に行ったり、原稿を書いたりしなくてはならない状態だったのに、シルバーウィークは追い立てられるような仕事を一切せずに済んだ。
 休みがはじまる前はこれからのことを考えよう、と思っていたけどあまり建設的なことはせず、アートブックフェアで知り合いのZINEを買ったり、実家に帰って昼寝をしたり、友達に誘われて初めて打ったパチンコで5000円負けて、それから焼肉を食べて朝まで飲んだりとか。でも、おかげでずいぶん気持ちが楽になった気がする。誰かに主導権を握られていた自分の人生の時計を、ようやく取り戻したような感じ。別にこれまでだって一切予定がない日はあったのだけど、それはどちらかというと働くために休んでいるみたいで、借り物の時間という感覚が拭えなかった。
 自分の時間は自分のものだということを、すっかり忘れていたのだと思う。書いていて、そんな当たり前のことすら忘れてしまっていたのかと恐ろしくなる。そしてこういう当たり前のことは頭ではわかっているつもりでも、心や体の深い部分から離れてしまうと意味がない、ということも思い知った。

 きっとこんな風に忘れてしまうことが、他にもたくさんあるのだろう。大切なことを忘れないで生きていくことはなかなかできない。強い風が吹くように、容赦のない日常が次々と奪っていってしまう。思わずもっと自分がしっかり立っていればとか、違う働き方があるんじゃないかと悩んでしまう。でもどこにいても、どんな風に働いていても、忘れる時には忘れてしまうのかもしれないとも思う。
 忘れてしまうことは確かに恐ろしいけれど、別に悲観的になりたいのではない。この長い休みで僕が知ったのは「忘れてしまう」ことではなくて、「立ち止まれば思い出せる」ということだった。そしてそれは救いだと思った。忘れないでいたいことはいくつもあるけれど、もしかすると本当に忘れてはいけないのは、「人は思い出せる」ということだけなのではないか。それは回復や、再生と言い換えてもいいかもしれない。
 もちろん二度と戻らないものもあるから、その判断は間違えないようにしないといけない。でも、どうにか堪えなくてはいけない場面はこれから何度も訪れるだろうし、その時によすがとなるのはこの「思い出せる」という感覚なのだと思う。どれだけ傷つけられても、大切なものはそうやって取り戻せる。そんな感覚。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。